多田等観
明治23年(1890)~昭和42年(1967)
秋田市土崎港町西船寺の住職の3男として生まれる。西本願寺法主大谷光瑞の命により、ダライ・ラマ13世の主従として来日していたチベット僧侶ツアワ・ティトウーとその従者二人の世話役になり、彼らに日本語を教え、等観も彼らからチベット語を学ぶ。明治45年(1912)、彼らの帰国に同行、インド、ダージリン付近カリンポンに逗留中のダライラマ13世に拝謁し、チベット入りを勧められと同時にトウプテン・ギャルワアンという法号を受ける。大正2年(1913)9月30日、ネパール人、チベット僧に変装し、ブータン側からヒマラヤのチョモリハル峠を越え首都ラサに到着。セラ寺ラルドン僧房に入り、大正8年(1919)、28歳のときに、ノンブリンカ離宮でダライ・ラマ13世から具足戒を受け、ラマ教の最高学位であるゲシェーの称号を得る。大正12年(1923)3月、インドを経て帰国、チベット大蔵経(デルゲ版)をはじめ貴重な経典や書籍を大量に持ち帰り、チベット学の発展に多大な功績を残す。
本紙に若干のヨゴレあり。