徳川義宜
安政5年(1858)~明治8年(1875)
第14代尾張藩主徳川慶勝の三男。幼名、元千代。慶勝の弟、第15代尾張藩主徳川茂徳に実子が無く、茂徳の養子となる。元治元年(1864)、茂徳が隠居し、わずか6歳で家督を継承し、第16代尾張藩主となる。わずか18歳で夭折した。官位、従三位、左近衛権中将。
《故旧不遺》
子曰、恭而無礼則労、慎而無礼則偲、勇而無礼則乱、直而無礼則絞、君子篤於親、則民興於仁、故旧不遺、則民不喩
(論語 第八 泰伯)子曰(いわく)、恭にして礼なければ労す。慎んで礼なければ葸(おそ)る。勇にして礼なければ乱る。直にして礼なければ絞(せま)し。君子曰、親(しん)に篤(あつ)ければ、則ち民仁に興こる。故旧(こきゅう)遺(わすれ)ざれば、則ち民喩(うす)からず。
本紙に若干の小折れ、裂に若干の傷みあり。