菊池容斎
天明8年(1788)~明治11年(1878)
江戸に幕府下級武士(御徒)河原専蔵武吉の次男として生まれる。名、武保。通称、量平。15歳頃、西丸御徒となる。はじめ、狩野派の画家高田円乗に師事、その後詳しい画歴は不明。38歳のとき御徒を退き諸国を漫遊、古刹を訪ね、名家所蔵の古典作品を研究。明治元年(1868)、上古から中世にいたる忠臣、義士、烈婦など五百余人の肖像と略伝を付した『前賢故実』(全10巻)を刊行する。明治2年(1869)、『藤房天馬の諫』『高徳題桜』『隅田綾瀬之図』を皇室に献上。明治8年(1875)、明治天皇より「日本画士」の称号を受ける。明治10年(1877)、第1回内国勧業博覧会で『前賢故実ノ図』名誉龍門賞受賞。幕末から明治初頭にかけて歴史画の重鎮として重要な位置を占める。門人に松本楓湖、渡辺省亭、鈴木華邨など。
本紙、表具とも若干ヨゴレあり。