田能村竹田Tanomura Chikuden
安永6年(1777)~天保6年(1835)
豊後国岡藩竹田村(大分県竹田市)に生まれる。父は藩侍医田能村碩庵。幼名、磯吉、のち玄乗、行蔵と改名。名、孝憲。字は君彜(くんい)。通称、竹蔵。別号、九畳仙史、竹田老圃、竹田邨民、秋心、随縁居士、九峯無戒衲子、紅荳詞人、田舎児、 藍水狂客、三我主人、西野小隠、秋声館主人など。天明7年(1787)、藩校由学館に入学。寛政10年(1798)、藩校由学館に出仕し、『豊後国志』編纂に従事。享和元年(1801)、江戸に出て、木村蒹葭堂、谷文晁と会う。文化元年(1804)、熊本に遊学し、村井琴山、高木紫瞑に学ぶ。文化3年(1806)、浦上玉堂と知り合う。文化4年(1807)、岡田米山人より「送別詩山水図」送られる。文化8年(1811)、菅茶山、頼山陽と会う。文化10年(1813)47歳、隠居。以後、頼山陽を中心とする京阪の文人と交流しつつ、気品香る独自の文人画を大成する。代表作に「亦復一楽帖」「暗香疎影図」「稲川舟遊図」「曲渓複嶺図」など。画論に「山中人饒舌」「竹田壮師友画録」など。弟子に、平野五岳、高橋草坪、帆足杏雨、田能村直入、田近竹邨など。
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