島崎藤村 Shimazaki Touson
明治5年(1872)~昭和18年(1943)
筑摩県馬籠村(岐阜県中津川市馬籠)に父島崎正樹、母ぬいの4男3女の末っ子として生まれる。本名、春樹。生家は、本陣、庄屋、問屋をかねた旧家。父島崎正樹は、平田篤胤派の国学者で、明治7年(1874)11月13日から明治10年(1877)12月8日まで、飛騨一宮水無神社の宮司を務める。明治7年(1874)11月17日、御輦(天皇の輿)に向かい扇を投げ入れ捕われ、明治19年(1886)、木曽の山林解放運動の首謀者として座敷牢に幽閉中死去する。また、『夜明け前』の主人公青山半蔵のモデルでもある。
明治14年(1881)、上京し、同郷の吉村家に寄宿しながら日本橋の泰明小学校に通う。明治21年(1888)、木村熊二のもとで洗礼を受ける。明治24年(1891)、明治学院普通科卒業(第一期)。明治25年(1892)9月、明治女学校の教師となる。明治26年(1893)1月、教え子の佐藤輔子に失恋、傷心の末に教師を辞任し、キリスト教を棄教する。同年、北村透谷、星野天知らと『文学界』を創刊。明治30年(1897)、第一詩集『若菜集』を刊行。明治32年(1899)、長野県小諸義塾に赴任。第四詩集『落梅集』を刊行。同年、函館出身の秦冬子と結婚。明治39年(1906)、『破戒』を自費出版。明治41年(1908)、4月より『春』を東京朝日新聞に連載。明治43年(1910)、4人の幼い子供を残し妻冬子死去。この時までに3人の娘を失う。大正元年(1912)、『千曲川のスケッチ』刊行。昭3年(1928)、川越出身の加藤静子と再婚。昭和4年(1929)、4月より『夜明け前』を中央公論に連載。昭和10年(1935)、日本ペンクラブを結成、初代会長に就任。昭和18年(1943)、『東方の門』執筆中に大磯の自宅で倒れ、同年、8月22日、71歳で死去。
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