長良川画廊サイト内検索
《わたしたちが失いつつあるもの》
日本人に受け継がれてきた『学びのこころ』
日本に最初の中央集権国家が生まれる飛鳥・奈良時代以降、外来文化である仏教と儒教は、日本の学問の中心となり、日本人の精神的規範となって日本の文化に深く浸透していきます。また、一方には、遙か神々の時代より、自然の営みに寄り添い、自然に溶け込んで生きる、日本人固有の自然観、死生観があります。日本の豊かで多彩な優れた文芸はそうした歴史的背景、精神風土の下で育まれてきました。また、そこには、学芸を尊び、「学びのこころ」を大切にした古き日本人の姿があります。
『学びのこころ』にふれる今月の一点
村上華岳
誕生仏
釈迦牟尼、佛陀と尊称されるゴータマ・シッダルタは、釈迦族の王である浄飯王の妃、摩耶婦人の右腋(わき)からわれわれ人間の世界に降り立ち、自ら七歩歩んで右手を挙げ、「我、一切の天人の中に於て、最尊最勝なり、無量の生死、今に於て尽く。この生に、一切の人天を利益せん」と獅子吼したという。これが仏教の伝えるゴータマ・シッダルタの誕生譚である。今日多く見られる釈迦牟尼誕生仏の像は、この仏伝にならい、右手を挙げ、上半身裸形のものが圧倒的多数を占める。
この村上華岳の描いた裸の童子は、それらの作例とは異なるものである。しかし、「人間の生きている目的が何にあるか私は未だはっきり言ふことは出来ませんが一番大切なことは世界の本體を摑み宇宙の真諦に達することにあると信じます。」(画論)という華岳の言葉は、宗教の求める究極と同じものである。さらに続けて、「ですから私が繪を描くのもその本體を摑む道の修行に過ぎません。畫室で製作するのは丁度密教で密室に於いて秘法を修し加持護念するのと同じ事だと思ってゐます。」(画論)というのである。華岳にとって描くことは、宗教の「祈り」と同じ行為であった。
よって私は、この裸の童子の絵を、敢えて「誕生仏」とよびたいのである。
講演会のご案内
6回連続講演 第4回 山崎弁栄「人生の帰趣」を読む。 »
講師 若松英輔(批評家)
開催日時 平成30年5月13日(日) 18時~20時
会場岐阜商工会議所
参加費 2,000円 (予約制、定員50名) 学生および未成年者無料
お申し込みは長良川画廊まで
山崎弁栄記念館
岐阜市泉町16
山本ビル1階
蔵ギャラリー
八白庵
岐阜市八代
11-10
抱石の会について
↓項目をクリックしてください。
- 長良川通信購読申込
- 新掲載品をいち早くメールでお知らせ
- 獅子門美濃派俳句資料館
- 松尾芭蕉の弟子各務支考から始まる俳句結社「美濃派」資料館
- 雛特集
- 雛特集
- 東海の遺墨集
- 岐阜・愛知・三重ゆかりの画家、先賢の遺墨作品集
- 特集 久松真一
- 久松真一の掛け軸、短冊 ご紹介
- 寄稿文集『ふるさとに思う』
- ふるさと岐阜への思い
- 長良川画廊企画展の歩み
- 今までの企画展紹介 『郷土の先人遺墨展』 他
- 美術館マンスリー
- 店主の美術館鑑賞記
- 店主のブログ『知と愛』
- 日本の古き文化、日本人の古きこころをエッセンスとして、わたしたちの今、此処(ここ)を綴る
掛け軸、屏風、日本画、洋画などの鑑定と買い取りについて
長良川画廊は、掛け軸、屏風、日本画、洋画などを専門に取り扱う美術商として、芸術家、文学者、思想家、宗教家、学者、政治家など、あらゆる書画の鑑定(無料)と買い取りをいたします。また、日本人作家のみならず、中国人作家、韓国人作家の鑑定(無料)と買い取りもいたしますので、掛け軸、屏風、日本画、洋画などの鑑定と売却は、お気軽に、書画専門、長良川画廊にご相談ください。