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B-329 岡田米山人 勝軍木庵

B-329 岡田米山人 勝軍木庵Okada Beisanjin - Nurudean

 岡田米山人 勝軍木庵 1
 岡田米山人 勝軍木庵 2
 岡田米山人 勝軍木庵 3
 岡田米山人 勝軍木庵 4
 岡田米山人 勝軍木庵 5 岡田米山人 勝軍木庵 6
 岡田米山人 勝軍木庵 7
作家名
B-329 岡田米山人 勝軍木庵おかだ べいさんじん - ぬるであん
作品名
東福賞松図
価格
185,000円(税込)
作品詳細
巻子 紙本 角田錦江並びに寺西易堂識合箱
本紙寸法 米山人-34.1x13.9
勝軍木庵-33x11.8
全体寸法(胴幅)全体-171.2x21.2㎝
作家略歴
コンディション他

【原文】
米山人賛
丙寅夏正初三、訪化童兄、屏障
有木庵禅師
尺牘、筆力蒼老、釈氏心印、発筆。
兄制我指望之意、便贈
兄且曰、換此、
作画、因項日
賞楓於東福寺
今写其勝槩
応其需
米山人識

(木庵書付)
慈教恍籌優曇
 賜及清刻、一字一礼
 頓開受眼、得覩仏日、
 豈非隔世之舟航者哉。
 至於法臘耳順、大誕
 末及観趨、拝祝、
 聊具寿儀哉。
 敢拙偈壱章、奉申賀
敬伏奠
鑒納余情不宣。
 南都夏縵壱領拝
 登均此。
鳴謝
     木庵
  手恙不及端筆、乞
  宥奉甚々々。

(箱表)
東福賞秋図、米山人画、木庵尺牘

(箱裏)
米老之於筆図、不間然而不啻有筆其於図法、亦深用意矣。
樹林疎密、堂舎大小、山之遠近、地之高低、一々合格。
与鹵莽破局而不自知者、不同日可語也。

且其書之老蒼沈勁、此老独得之、妙玉小字、
殊有勝情。木
老師清潤、有姿旋風。
老欲清潤。則、易淳滑及観老師書、頗有所悟入。
不知、老師果印可否。乙酉冬観、浪華易堂鼎。

【訓読】
丙寅の夏正初三、化童兄を訪う。屏障に木庵禅師の尺牘あり。
筆力は蒼老にして、釈氏の心印が筆に発す。
兄は我が指望の意を制して便ち贈る。
兄且つ曰わく、此に換うるに画を作れと。
因りて項日、東福寺に楓を賞す。
今其の勝槩を写して需めに応ず。
米山人識

(木庵尺牘)
慈教恍籌優曇
 賜いて清刻に及ぶ、一字一礼
 頓に受眼を開く。仏日を覩るを得る。
 あに隔世の舟航者に非ずや。
 法臘は耳順に至りて、大誕
 末だ観趨に及ばず、拝祝、
 聊か寿儀を具えんと
 敢えて拙偈壱章を賀し申し奉る。
敬伏奠
鑒納、余情不宣。
 南都夏縵壱領拝
 登均此。
鳴謝
     木庵
  手恙にして端筆に及ばず、乞
  宥、奉甚々々。

(箱表)
東福賞秋図、米山人画、木庵尺牘

(箱裏)
米老の筆図におけるや、間然とせずして、
ただその図法において筆あるのみならず、
また深く意を用う。
樹林疎密、堂舎大小、山之遠近、地之高低、一々格に合す。
鹵莽破局にして自ずから知らざる者とは、同日に語るべからず。

且つ其の書の老蒼沈勁なること、此の老独り之を得る。
妙玉小字、殊に勝情あり。木老師、清潤にして姿ありて旋風。
老清潤ならんとす。
則ち、易淳滑にして老師の書を観るに及び、頗る悟入するところあり。
知らず、老師果して印可するや否や。乙酉冬観、浪華易堂鼎。

【訳文】
文化三年(1806)丙寅の夏三日、化童兄(未詳)を訪問した。
そこの屏風に木庵禅師の書簡があった。
その筆力には古意があり、仏教の悟りが筆跡に表れている。
化童兄はわたしの希望を推し量ってこれを下さった。
そして兄は、これに代わる絵を描いてくれといった。
日ごろ、東福寺の楓を賞玩していたので、
今その景勝を描いて、兄の求めに応じたのである。
米山人識(1744~1820)

(木庵尺牘)
有難い教えのお手紙をいただきまして、一字に一礼して拝見いたしました。
まるで仏様にまみえたようで、隔世の菩薩ではないでしょうか。
出家してから耳順に至りましたが、いまだお目にかかることができません。
お祝いのために、いささか寿儀を添えようと、あえて拙ない偈文を申しあげました。
謹んでお供え申します。
よろしく御嘉納くださいませ。奈良の着物一領ありがとうございました。   木庵
  手が動かず端書ができません。お許しください。

(箱表)
東福賞秋図、米山人画、木庵尺牘

(箱裏)
米山人老の絵画は、ゆるんだところはなく、ただその画法に筆意があるというだけでなく、深く注意が払われている。樹林の疎密、堂舎の大小、山の遠近、地の高低など、一々すべて格に合っている。いい加減で出鱈目なことを自分ですらわかっていないものなどと、同日に語ることはできない。

また木庵老師の書の老蒼沈勁なることは、ただこの老師だけが会得したものである。
妙玉なる小字に特に優れた趣きがある。老師は清潤で風姿があり、風が吹いて
さらに清潤になろうとする。
わたくし易堂は、老師の書を見るに及んで、すこぶる悟るところがあった
。 老師が果して印可なさるかどうかは知らない。明治十八年乙酉(1885)冬に観る。
浪華の易堂寺西鼎(1824~1916)。