山本梅逸
WEB書画ミュージアム 山本梅逸のページへ恩田蕙楼
寛保3年(1743)~文化10年(1813)
名、維周。字、仲任。号に白山、巵園など。尾張藩校明倫堂教授岡田新川の弟。尾張藩書物奉行を務めた儒学者松平君山門下。藩主近侍をへて、享和2年(1802)、継述館総裁兼藩校明倫堂教授となる。著書に『尾張略志』『史記考』など。
福岡敬堂
天保13年(1842)~大正10年(1921)
尾張藩士山名一郎の子。名、欽崇。伊藤鳳山、佐藤牧山に漢学を、飯田一無に世尊流の書を学ぶ。儒学者。
作品は、山本梅逸の画業の最初期に属する、文化6年(1809)27歳の時に描かれたもので、資料として大変貴重な作品である。
本紙に若干シミ。