建部綾足
享保4年(1719)~安永3年(1774)
江戸に生まれる。弘前藩家老喜多村校尉政方の次男。俳号、葛鼠、都因、涼袋、吸露庵など。画号、寒葉斎。20歳のとき兄嫁と密通して弘前を出奔(異説あり)、各地を放浪、始め、大坂も志田野坡に入門し俳諧を学ぶ。延享4年(1747)、29歳のときに浅草に吸露庵を営み俳諧師として立つ。寛延3年(1750)、長崎にあって、熊代熊斐、石崎元徳に、南蘋派の画法を学ぶ。宝暦13年(1763)、賀茂真淵に入門。5・7・7の三句からなる古詩体(片歌)の復活を提唱。晩年は読本の先駆的作品「本朝水滸伝」「西山物語」を著す。
【翻刻文】
明月や何処までのばす富士のす(そ)
明月や留守の人(にも)丸ながら
菊畑や夢(にたたすむ)八日の夜
夕暮れを引きあつめて(ぞしか)の声
京へ出て目(にたつ)雲や初時雨
※句はすべて『千代尼句集』所収。