村上霽月(せいげつ)
明治2年(1869)~昭和21年(1946)
伊予郡西垣生村今出(現在の松山市)に生まれる。名、半太郎。別号、南陲野老、養堂処士等。愛媛県第一中学校(現在の松山東高等学校)を卒業し、第一高等学校に入学。明治24(1891)、叔父急死のため、退学し帰郷。実業家として、今出絣株式会社社長、伊予農業銀行頭取、愛媛県信用組合連合会会長を務める傍ら、正岡子規、夏目漱石、内藤鳴雪らと交わり、柳原極堂の創刊した俳誌『ほとゝぎす』の選者を務めた。
《 行く年の我に神なし仏なし 升 》
本紙及び台紙に若干小シミあり。