橋本雅邦 Hashimoto Gaho(Hashimoto Gahou)
天保6年、絵師・橋本晴園養邦の子として江戸木挽町に生まれる。
12歳で狩野勝川院雅信に入門し伝統的な狩野派の技法を学ぶ。はじめ秋園と号し、弱冠19歳にして狩野芳崖とともに塾頭となる。その後独立し、第一、第二回内国絵画共進会に出展して連続受賞。明治17年、岡倉天心やフェノロサらによる絵画会の創立に参加、新日本画の開拓に努めた。文部省図画取調掛、東京美術学校教授、帝室技芸院等を歴任。同31年、天心とともに日本美術院の創立に参加、主幹となる。狩野派最後の巨匠といわれ、横山大観、菱田春草、下村観山、川合玉堂などの逸材を育てる。代表作に『白梅紅樹』『竜虎(図屏風)』がある。明治41年没。狩野芳崖と並び、近代日本画の育ての親と呼ばれる。
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