村上華岳 Murakami Kagaku
明治21年(1888)~昭和14年(1939)
大阪市北区松ヶ枝町に武田誠三、たつの長男として生まれる。本名、震一。父の母、池上雪枝は幼少期から才媛と謳われた女性で、明治10年頃に日本で初めての孤児院「修徳院」を創設している。明治28年8歳とき、大阪を離れ伯母千鶴子の嫁ぎ先である神戸市花隈の素封家村上五郎兵衛に寄寓し、そこから神戸市立神戸尋常高等学校に通う。明治34年、父誠三他界。明治37年、正式に村上五郎兵衛の養子となる。大正2年、京都市立絵画専門学校研究科を卒業。大正5年、第10回文展に『阿弥陀』を出品し特選を受賞、横山大観に日本美術院への参加を強く要請されるなど、この頃より新進画家として脚光を浴びる。大正7年、土田麦僊、小野竹喬、榊原紫峰、野長瀬晩花とともに、国画創作協会(国展)の結成に参加。大正10年ころから、喘息の発作が始まる。大正12年、京都を離れ兵庫県芦屋に転居後、昭和2年、神戸花隈の養家に戻る。その後は特定の団体にも属さず、多くの仏画、山水画を制作。昭和14年、11月11日、制作中の牡丹の絵を画室に残したまま死去する。享年52歳。
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