長良川画廊ホームペ遺墨展目録トップページ » 先人遺墨展目録 4
61.塩谷鵜平 田家の句 合箱
紙本水墨22×137.3
23.000円
62.塩谷鵜平 朽葉の句 合箱
紙本水墨21.7×68
23.000円
63.塩谷鵜平 雪の句 合箱
紙本水墨30.7×116
23.000円
◆塩谷鵜平・1877〜1940 岐阜市江崎に生まれる。正岡子規に師事。高浜虚子、河東碧梧桐と親交。俳誌「土」刊行。俳人。昭和15年に没。
64.永田佐吉 宝珠図 合箱
紙本水墨27×63
55.000円
◆永田佐吉・1701〜1789 現・羽島市竹鼻町上鍵屋町に生まれる。貧農の家に生まれ、幼くして両親を失う。10歳で名古屋の紙問屋に奉公に出る。仕事に励みながら暇をみつけては経書に親しむ。帰郷後、綿の仲買を始め、財を築き、石橋や道標、佐吉仏を築いた。人のために尽くす多くの逸話から「仏佐吉」と呼ばれた。寛政元年に没。
65.神山鳳陽 詩書 紙箱
紙本水墨50.3×24.4
18.000円
◆神山鳳陽・1824〜1889 美濃に生まれる。名、述。別号、三野々史、三野老人など。京都に移り私塾を開く。明治2年、私塾立命館に招かれ江馬天江、富岡鉄斎らとともに講師となる。著書に『鳳陽遺稿』など。儒者。明治22年に没。
66.本庄道芳 書状 合箱
紙本水墨43.7×32
55.000円
◆本庄道芳・1604〜1668 徳川綱吉の生母桂昌院の兄。高富藩初代道章の祖父。高富藩祖。宮内少輔。寛文8年に没
67.本庄道美 書 合箱
紙本水墨67×28
16.000円
◆本庄道美・高富藩第10代藩主。
68.松平義建 桂叢 合箱
絹本水墨50.5×34.5
お買い上げ頂きました
◆松平義建・1799〜1862 水戸藩小石川邸に生まれる。号、秉斎、芳潤堂、賞蘭斎など。天保3年第10代高須藩主となる。嘉永3年、摂津守改め中務大輔。文久2年に没。
69.松平義比 月の兎図 合箱
紙本彩色46.3×31.5
55.000円
◆松平義比・1831〜1884 第10代高須藩主松平義建の第五子。初め第11代高須藩主松平義比となり、後、尾張家を継ぎ第15代徳川茂徳となる。隠居後さらに一橋家を継ぎ徳川(一橋)茂栄となる。徳川慶喜の側近として幕政に参画。明治17年に没。
70.戸田氏鉄 黒印状 合箱
紙本水墨55.6×38.2
380.000円
◆戸田氏鉄・1576〜1655 膳所藩初代藩主戸田一西の長男。天正17年(1589)、徳川家康の近習として仕える。慶長7年(1602)父一西の死により近江国膳所藩の藩主となる。名を左門と改める。膳所から摂津国尼崎藩へ移封され寛永12年(1635)尼崎から美濃国大垣藩へ移封。領内河川の治水事業、新田開発など民政に尽くし学問を奨励した。大垣藩初代藩主。承応4年に没。
71.森田草平 和歌 信濃路や〜
短冊 額装
紙本水墨6×36.2
38.000円
72.森田草平 雲悠々 短冊 額装
紙本水墨6×36.2
38.000円
◆森田草平・1881〜1949 方県郡鷺山村(岐阜市鷺山)に生まれる。本名、米松。明治28年、岐阜市高等小学校(京町小学校)卒業。明治32年、第四高等学校(金択大学)に入学するが、郷里の恋人つねとの同棲が発覚したため論旨退学となる。明治36年、東京帝国大学英文科に入学。明治38年、夏目漱石を訪ねて師事する。明治39年、同学卒業。明治42年、平塚らいてうとの心中未遂事件を題材にした『煤煙』を朝日新聞に連載を開始する。大正9年、法政大学英文科教授。大正12年、自伝的小説『輪廻』を『女性』に連載。その後は『吉良家の人々』『細川ガラシヤ夫人』などの歴史小説を著す一方でイプセン、ドストエフスキー、セルバンテス、ダヌンツィオ、ボッカチオなどの翻訳を手がける。昭和23年、日本共産党に入党、随筆集「私の共産主義」を出版する。安倍能成、小宮豊隆、鈴木三重吉と共に漱石門下四 天王に数えられた。昭和24年に没。
73.坪内逍遙 沙翁劇朗読(逍遙肉声)
ハムレット、ベニスの商人
コロムビア・レコード
レコード
25.000円
◆坪内逍遙・1859〜1935 加茂郡太田宿(美濃加茂市太田)に代官手代坪内平右衛門の子(10人兄弟の末子)として生まれた。幼名、勇蔵。東京大学政治経済科を卒業。明治17年、東京専門学校(後の早稲田大学)の講師(後に教授)となる。翌明治18年、「当世書生気質」「小説神髄」を立て続けに発表し日本近代小説の先駆者となる。明治24年、「早稲田文学」を創刊、明治39年、文芸協会の創立、明治42年、 演芸協会の設立、昭和3年、私費を投じて、演劇博物館(早稲田大学内)を建設するなど文化の向上に尽力。シェイクスピア研究の第一人者。文学者。昭和10年に没。
74.下田歌子 四季和歌 四枚
金砂子打曇入り小色紙
紙本水墨18×21.1
お買い上げ頂きました
75.下田歌子 和歌 寄松祝
紙本水墨60.5×34.4
お買い上げ頂きました
◆下田歌子・1854〜1936
岩村藩士平尾家の長女として岩村町に生まれる。本名は平尾銘(せき)。幼少より和歌、漢詩を学ぶ。明治5年、宮内省に出仕し同年昭憲皇太后から歌子の名を賜る。女子教育の振興に尽力。実践女子大学の創始者。歌人。昭和11年に没。
76.梶浦逸外 福寿海無量 紙箱
紙本水墨94×31.7
58.000円
◆梶浦逸外・1896〜1981 名古屋市に生まれる。12歳のとき京都選仏寺で得度。大徳寺昭隠老師のもとで修行。花園大学学長、美濃伊深正眼寺住職。昭和43年から昭和53年まで妙心寺管長。昭和56年、遷化。
77.川島昭隠 白紙賛 共箱
絹本水墨27.3×113.2
120.000円
78.川島昭隠 喫茶去 合箱
絹本水墨55.5×27
お買い上げ頂きました
◆川島昭隠・1865〜1924 岐阜県稲葉郡に生まれる。号を槐安軒。11歳の時、岐阜の開善院(岐阜市寺町)、則門和尚の弟子となる。 15歳で美濃加茂伊深の正眼寺に掛塔し、始めは泰龍に参じたが、やがてその法嗣大義祖勤に参じ、又禅外道倫にも参じた。明治26年、清 泰寺に住職する。その翌年大義は遷化する。明治31年、天龍寺の峨山に参じたが、明治33年、峨山の遷化に逢い、一旦清泰寺に帰るが、翌年、南宗寺の蜻州守拙に参じ遂にその印可を得た。しかし法は大義を嗣いでいる。明治40年、大徳寺僧堂家となり、大正8年、正眼寺僧堂に移った。その時雲衲五十余人が師に従ったという。大正13年に遷化。
79.豊田毒湛 棒画賛 合箱
紙本水墨29.8×132
58.000円
◆豊田毒湛略歴・1840〜1917 美濃祖父江村(岐阜県瑞穂市)に生まれる。名、匝三。高源室と号した。8歳で美濃伊自良村の東光寺に入り得度。18歳より諸国を旅し、永源寺の海洲、梅林寺の羅山元磨、正眼寺の雪潭紹璞、達磨寺の長沙、梅谷寺に端道、徳源寺の鰲巓道契に参じる。明治11年美濃八百津の大仙寺に住し同寺の子院臨江軒に隠棲する潭海玄昌に印可を受ける。明治14年潭海玄昌に伴って美濃虎渓僧堂に移り、明治18年潭海玄昌の後を継ぎ虎渓僧堂師家に就任。大仙寺、虎渓山の伽藍復興、南禅寺の法堂再建に尽力する。明治29年南禅寺派管長、明治42年妙心寺管長。大正6年に没。